マンスリー・プロジェクト
レポート


マンスリー・プロジェクト
トークセッション「戯曲翻訳の現在」


2010年12月18日(土)新国立劇場オペラパレス ホワイエ
出席 宮田慶子
    長島確[ヘッダ・ガーブレル]/常田景子[やけたトタン屋根の上の猫]
    水谷八也[わが町]/岩切正一郎[ゴドーを待ちながら]

訳し始めるまで

宮田●たぶん最終的には、演出家と翻訳家、作家とのコラボレーションもあるし、さらに役者さんたちとのコラボレーションもあって、みんなのいろいろなものが、きちんと滞りなく、体の中をそれぞれのポジションなりに通過していって、やっと最終形になるみたいなことが実感かなと思いますよね。    あと、こういう感覚って、どのあたりでつかむんですか?  みたいなことを、皆さんにお聞きしたいなと思うのは、たとえば私なんかやっぱり演出家として、何でもかんでもわかりやすい口語体にしてくれっていうわけじゃないし、やはりその時代の言葉がもっている、ある種の響き、現代語との明らかな違いみたいなことがあって、もっともっと緻密なことをいえば、現代に生きている作家であったとしても、お一人お一人の作家の文体の違い、質の違いによって、ちょっと硬質な文体をお書きになられる方と、比較的やわらかい文体をお書きになられる方がいらっしゃるじゃないですか。そのあたりのつかみ具合をどうしていらっしゃるのかな、と。1回ダーッと読んでみて「ふむふむ」って思っていくのか、何度もご自分なりに口の中で転がしてみて、頭の中で転がしてみて、その音の感覚みたいなのとか、もちろん論理性を読み解きつつ、どうなんですかね。これ、非常に演出家的な発想かもしれないけど、そうした肌合いのつかみっていうのは、戯曲に初めて向き合うときに、私なんかはとても緊張するんですね。かつて演出家は台本を正座して読めって言われて育った世代なので、全神経を集中して、どういう風合いなのかということを読み取ろうとしていったりするんですけど、どんな感じですか?
長島●いろいろ、言いにくいことがいっぱいあるんですが、一つは、今、宮田さんのお話で思い出したんですが、実は白状しなきゃいけないことがあって、常田さんと演出の松本さんの対談が新国立劇場の会報誌に出ていて、あれを読ませていただいたら、常田さんが文体のことをおっしゃっていて、僕はちょっと青くなったんですね。文体のこと、僕、全然考えないでやっていた、まずいと思って、どう言い訳しようかと思っていたんですが。いや、本当に、僕はたぶん、全然違うことを考えていまして、そういう意味でいうと、やっぱり原作の等価物、日本語でできた原作と等しいものというのは、翻訳では絶対できないと思うんですね。だから、もうそっちは諦めて、上演のときにどういうふうに響くか、届くか、あるいは、もっというと現場でどういうふうに使えるか、っていうことばっかり考えているんです。なので、言葉の選び方にしても、元のニュアンスとかというよりは、今、この言葉、どういう日本語を選んだらどういうふうに刺さるだろうかとか、どういうふうに優しくなるだろうかとか、役者さん同士の関係の中での使い勝手ばっかり考えていますね。ちょっと原作者のイプセンさんに申し訳ないですが。だから、必ずしも作者の意図とか、もちろんそれは一応考えますけど、だけど、優先順位として、やっぱり今の使い勝手ばっかり考えていますね。
常田●まぁ、私もそういいながらも、そんなに作家によって変えているかっていうとそうでもなくて、自分の文体もやっぱり、透明フィルターじゃないので、自分の癖とかしゃべり、語り口みたいなのは、どうしても人はみんなもっているものだと思うので、どんなにニュートラルにしようと思っても、やっぱり4人4様で、同じものを訳しても違うものになると思います。それとやっぱり、作家によって、読んでいると非常に読みやすい、英語で読んでいると非常に読みやすいけど、いざ日本語にしようと思うとすごく日本語になりにくい人とか、読んでいるときは「どうなのよ、これ」って思う部分があるけど、訳し出すと結構すらすら訳せる人とか、それで、テネシー・ウィリアムズのことを言うと、だいたいがセリフがとても多くて、とてもたくさんしゃべっているし、しゃべっているうちに、自分が言っていることから何か思いついて、ちょっとずれていったりっていうようなことがあって、そうすると、どこの段階でずれたかとかいうのは、本当に文法が違って、語順が違うので、ちょっとそういうところは捉えにくいところがあって、それが大変だったかな、っていうことがあるんですけどね。それと、以前に外国人の演出家と仕事をしたときに、なるべく直訳でいけるものはいってくれ、みたいなことを言われたことがあって、それでやってみると、意外と「これは、こんな直訳で日本語じゃないよ」って字面で見ると思うけど、役者さんが言うと、意外と「あぁ、ちゃんとセリフだね、これは」っていうことがあったりしたんですよね。かといって、作家は誰でもその方式が通用するかっていうと、直訳しちゃうとやっぱりセリフにならない人もいるんですよ。だから、それはケースバイケースで、もちろん最初にいきなり1ページ目から訳し出すわけではないので、読んでその辺は作戦を立てて、この人はたぶん、多少脚色とまではいかないけど、ちょっと日本語風にアレンジって言ったら変ですが、ちょっと日本語の物言いに近付けたふうにやらないと無理だろう、っていう人はそういうふうにやっていったりします。でも、訳し出して最初の3ページ、5ページぐらいは、ものすごい時間がかかって、やっぱりその間に自分でいろいろどうしよう、こうしようって考えて、そのうちだんだん、「こうだよね」っていうのが決まると、そのあとはもうその方向で行けるんですが、やっぱり最初はすごくとつとつと、もう5時間もやってるのに1ページぐらいしかできないとか、そういうこともあるし、何やってるんだ? って思ったりすることもありますね。
宮田●ちなみにその割と直訳っぽく訳したのって? 差しつかえがあるならいいですけど。
常田●ニール・ラビュートっていう作家のものは、わりあい直訳でやってみたりしていますね。
宮田●それは、やはり最終的に役者さんの口に乗っかってみると、「なんだ、いけちゃうじゃない」っていう感じなの?
常田●そうそう。
宮田●その何となく無骨感というか、ポキポキ感が、逆にその芝居のトーンを作っていったりする……。
常田●割とそういう感じだったりするみたい。だけど、ニール・ラビュートっていうのは現存で、まだそんなに年を取っていない作家なんですけど、かといって、じゃあアメリカの若い作家のものはそのままいけちゃうかっていうと、たとえば今のアメリカ人なら80%知っているけど、日本人は知らないよ、みたいなことがすごく散りばめられている作品は、それはそのままではできないですよね、やっぱり。固有名詞を普通名詞に変えたり、何かしないと。
宮田●演出家は年中本を探していたりするものですから、よく向こうでヒットしたものとか、オフオフオフぐらいで話題になったから、ちょっと訳してとかっていって、粗訳とかっていって上がってきて、あまりに固有名詞と、あまりにアメリカでしかわからない単語が多すぎて、「これ無理だわ、面白いけど」みたいなことがよくあったりしますよね。
常田●そういうときはやっぱり、もし上演になったら、それは固有名詞を普通名詞に変えたり、何かちょっとした操作をしないと、そのままではちょっと話がわからなくなっちゃったりすると思う。
宮田●常田さんの訳で一緒に仕事させていただいたときの、何だっけ、“チッペンデール”。
常田●そうでしたね。
宮田●ある芝居で“チッペンデール”っていう固有名詞が出てきて。アメリカの芝居なんですけど。で、「チッペンデールって何?」って言いながら、どうやって訳す? とかって、「これ、デパートだっけ?」とかって言いながら……。
常田●何か元々は、一番有名なのは家具屋さんですけど、実は男性ストリップ。
宮田●そうなの。家具屋かと思って読んでいたら、実は違って、男性ストリップショーだったの(笑)。そのくらい、「こんなの、英語圏の人じゃなきゃわからないよ」とか言いながらね。そういうことはよくありますよね。
常田●それは、おばあさんっていうのは失礼だけど、割と高齢者の人のセリフで、「チッペンデールに見学に行くの」っていうセリフだったので、最初はじゃあ家具屋なのかなって思ったりしたんだけど、そうじゃなくて、「仲良しの友達と男性ストリップ見に行くのよ」っていう話だったっていう、もうちょっとで誤訳するところだった、っていうケースですけれどもね。
宮田●で、それをじゃあ日本で翻訳して、「チッペンデールに行くの」って言ったところで、どうわかるのよ? ということがあって、それは向こうでは、チッペンデールっていったら「あ、これは家具屋じゃなくて男性ストリップだよ」ってわかったりするけど、困るんですよね、こういうとき。じゃあ「男性ストリップ見に行くの」って言ったら、それは露骨すぎて、なんか、セリフとしてどうよってなったり。一番困りますね、ああいうのが。
常田●そうですね。逆に言うと、たぶん、日本の芝居を外国語に訳そうとする人も苦労するんだろうけど、アニメのキャラクターだとか、コミックスの中のすごく有名な登場人物とか、商品名とか。今はもうインターネットがあるので調べやすくなったけれども、本当に15年、20年前だと、「これはいったいなんだろう?」っていうところが、すごくありましたよね。
宮田●これも常田さんとしゃべっていたのかなぁ? 10年前ぐらいまでは、クローゼットって使えなかった。
常田●そうでしたね。
宮田●それが、今、クローゼットっていうと、「あぁ、洋服ダンスね」って誰でもわかるようになったけど、10年ぐらい前までは、「クローゼットって何?」って。
常田●芝居じゃないですが、推理小説の短編を訳したときに、ストーカーっていう言葉が出てきて、そのとき日本ではまだ、ストーカーっていう言葉が誰も知らないような言葉だったんですよね。本当にそれ、出版して1年、2年ぐらいあとで、ストーカーがどういう人物のことかっていうことがわかるようになったんだけど、そういうこともありますよね。翻訳の寿命が短いのは、そういう部分にもあるのかもしれない。