マンスリー・プロジェクト
レポート


マンスリー・プロジェクト
トークセッション「戯曲翻訳の現在」


2010年12月18日(土)新国立劇場オペラパレス ホワイエ
出席 宮田慶子
    長島確[ヘッダ・ガーブレル]/常田景子[やけたトタン屋根の上の猫]
    水谷八也[わが町]/岩切正一郎[ゴドーを待ちながら]

テネシー・ウィリアムズのおしゃべり

宮田●常田さんのところも演出の松本祐子さんと、さんざん新国立劇場に泊まり込む勢いで、深夜まで、シャッターも何も全部閉まっている時間まで打ち合わせを重ねてくださった。いかがでしょう?
常田●松本さんとはもう何回か仕事をしていて、松本さんはロンドンにも留学なさっていたことがあって、英語も相当読めるので、稽古に入る前の打ち合わせっていうのは他の演出家の方よりも割と多いほうなんです。だいたいいつもどの演出家の方とやるときも、最初なるべく自分の解釈をそんなに入れずに、「こう書いてありますよ」っていうものを準備稿というか第1稿として出して、そのあと、1回目の台本打ち合わせで、人物設定だとか、もうちょっとこの人はこういうふうな口調でしゃべりたいんだとか、演出家のもっているプランに応じて多少変えていったり、ちょっとカットしたり、っていうことも出てきます。今回は、地名だとか、アメリカ人だったら知っている、東部の人でも知っているんだけど、日本人にとってはまったく縁のない学校の名前だとか、そういうものを極力排除していこうっていう演出家の方針があったので、1回目の打ち合わせでそうしたものを割と切ったっていうことと、お父さんとお母さんっていうか、世代的にはおじいちゃんとおばあちゃんなんですけど、まだ今、実際には当主であるお父さんとお母さんっていうのが、英語では“ビッグ・ダディ”と“ビッグ・ママ”っていうふうに呼ばれているんですね。以前の翻訳だと、「おじいちゃん」「おばあちゃん」っていうふうに、世代的に孫もいたりするのでおじいちゃんおばあちゃんって言われているんですけど、実際にまだ厳然と当主なので、おじいちゃんっていう感じじゃないねっていう話があって、私は最初の稿ではビッグ・ダディとビッグ・ママっていう、そのままで出してみたんですけど、ずっとビッグ・ダディとかビッグ・ママとかって呼びかけるのは、なんかちょっとしんどいかもしれないっていう話になって、結局、息子たちは「お父さん」「お母さん」っていって、嫁たちは「お父様」「お母様」っていうふうにしたんです。今回一番変わったっていえば、すごい小さいことですけど、印象として違うのはそこだと思うんですけど、そういったこともやっぱり一例ですが、演出家の人の、何を台本から一番語りたいかっていうことによって、多少変更していくっていう、さっきの女中さんと雇い主があんまり対等じゃやっぱりいやだろうとか、そういうことも、もちろん、たとえばイギリスの芝居で執事とかが出てきたら丁寧にしゃべったりしていますけど、日本語ほどの差がない場合が日常的には多かったりするので、それをどういうふうにするかとか、たとえば父親とかに話すときも、ですます調なのか、「何とかなんだよ」っていう口調なのかっていうことで、人間関係の印象っていうのはやっぱり変わってきちゃうので、そういうのをどうするかっていうのも、私なんかはできれば、演出家の方針で直していきたいなって思うほうなので、やっぱり2回か3回、台本打ち合わせをして、打ち合わせしては直したのを渡し、またそれを見てもらって、もう1回直して、みたいなことを上演台本としてはやっていくっていう作業ですね。今回もそういうふうにさせていただきました。
宮田●確かに、日本語には本当に直しにくい、“ビッグ・ダディ”とかって、簡単な言葉なのにどうやって訳したらいいの? って本当に悩むようなものがやっぱりありますよね、どうしても。お二方とも演出家とのコラボの必要性、共同作業の必要性を言ってくださったんですが、たとえば一つの単語に対していくつかの翻訳語が浮かぶ場合にご自分の中でやっぱりそれは、日本語のセリフとして口の転がしがいいものとか、もうちょっとこれはギラギラした言葉にしたいとか、音は硬めでいきたいとか、そういうチョイスは、一般論としてですけど、あるわけですよね?
常田●それはやっぱり、一般論としては、英語では非常によく使う言葉なのを、日本語ではあんまり、その言葉耳にしないよねっていう言葉に訳しちゃったら、ちょっとダメかなとか、そういうことは考えますね。たとえばある言葉が、1幕で誰かが言っていて、それがちょっとそんなにはしょっちゅう使わない単語で、2幕で別の人が、その単語を呼応するように使うとかいう場合は、ちょっと耳に残る単語を選びたいとか、そういうことはありますね。
宮田●何度もその作家が使っているキーワードっていうのがあって、私も長島さんに「これ変えちゃダメ?」っていったら「ダメ」って言われて、そうか、キーワードはやっぱり、ちゃんと各場面で誰が使っているっていうのがこうリレーされていっているから、やっぱり同じ言葉の言いまわしじゃないといけないんだな、みたいなことがあったりしますね。
長島●「ふつうしないだろう」って訳したところですね。
宮田●そうそう、「ふつうしないだろう」はまさしくそうでしたね。
長島●それ、ヘッダとブラックとが繰り返し、全部で4、5回言っていますが、それはやっぱり、訳し分けちゃうと、戯曲の中にある大事な筋みたいなものが消えちゃうので、最終判断はともかく、そこが同じだっていうことはやっぱり現場には伝えたいと思いますよね。