シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

VI シェイクスピアは『ヘンリー六世』をなぜ書いたのか? 河合祥一郎(英文学者)
2009年11月19日[木]

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スタンレー家は、なぜシェイクスピアにこれを書かせたのでしょうか? シェイクスピアのパトロンだったストレンジ卿ファーデナンデ・スタンレーがシェイクスピアにたぶん、これを書かせただろうと推測できるわけですけれど、なぜそういうことをしたのか?
ということを考えますと、これも腑に落ちるわけです。当時のスタンレー家というのはエリザベス一世の政府から、それはそれは厳しい目でにらみつけられていたんですね。というのは、スタンレー家は非常に広大な領地を持っていて、その所帯は王室を除けばチューダー王時代のイングランドで最大といわれるほど、絶大の権勢を誇っていた。しかも、ストレンジ卿の母のマーガレット・クリフォードという人は、ヘンリー七世のひ孫のエリノア・ブランドンの娘であった。ということはどういうことかというと、ストレンジ卿は王位継承者だったわけです。
ということは、反政府のカトリック勢力が、ストレンジ卿を担ぎ出してクーデターを起こすということがあり得る、というふうにエリザベス一世を守っている官僚たちは考えるわけですね。シェイクスピアのパトロンは、非常に身分が高い。したがってエリザベス一世の政治に不満を持つ不平分子たちが、シェイクスピアのパトロンを担ぎ出すという可能性があるぞ、これは警戒しなければならないということになったわけです。
そしてまた、不幸なことに、当時、カトリック勢力が実際にスタンレー家を頼ってきていた。不平を持っている人たちが、実際にストレインジ卿を慕って集まっていたという事実があるんですね。したがって政府側が警戒するのも、ある意味で理由がなかったわけではないことになるわけです。
そこで、スタンレー家としてはどうすればいいか?
私たちにはとてもそんな気はありませんということをアピールしたい。ヘンリー・テューダーを王位につけるべく、尽力したのは誰だったですかと。エリザベス女王のおじいさんのヘンリー七世に王冠を授けたのはウチでしょ? スタンレー家ですよ。また、『ヘンリー六世』のこの三部作を通して、スタンレー家がいろいろと活躍していますね。そういうことをさりげなく潜りこませたのかもしれない。これはすべて推測です。絶対なことは言えません。
しかし、そういうふうに考えていくと、いろいろなことが腑に落ちてくるわけですね。
特に、この時期、ある事件が起こりました。当時、イングランドはスペインと戦っていました。そしてストレンジ卿のいとこにあたるサー・ウィリアム・スタンレーが突然カトリックに目覚めてしまって、その当時1200人のアイルランド兵士を従えていた、ちょうどこのお芝居の中でヨーク公がアイルランドに行くと言って兵士たちをもらって大喜びをするようにですね、その当時、自分が兵士を率いるということは非常に大きな力を持つわけですが、その1200人のアイルランド兵をしたがえたまま、カトリックに目覚めてしまったいとこのウィリアム・スタンレーが敵方のスペインに寝返ってしまったという事件がありました。これはイングランドではたいへんな騒ぎになった。となると、スタンレー家は非常に窮地に立たされるわけですね。
しかも、さらに加えて、いとこのウィリアム・スタンレーの配下の準大尉となっていたガイ・フォークスという男が、やがてカトリック教徒が起こした火薬陰謀事件の首謀者として知られることになるわけです。現在でも、イギリスでは11月5日はガイ・フォークス・デイと言って、お祭りが行われます。大きな人形を燃やして、火をかかげて、焚き木をし、花火を打ち上げ、お祝いします。そのガイ・フォークスは、ジェームズ一世を爆死させようと議会の下に洞穴を掘って行って火薬を運んでいたところを捕まえた、という事件なわけです。これはもともとカトリックの反乱だったのですが、そのボスだった男が、スタンレー。そのいとこが、シェイクスピアのパトロンだったものですから、非常に立場が悪くなっていたわけですね。その当時、古い勢力のカトリックと新生勢力のプロテスタントの対立は、それは激しいものでした。
現在では、カトリックとプロテスタントの対立はあまりよくわからなくなってきていますけれども、当時は非常に激しく血で血を洗うものがあったわけです。特にエリザベス女王一世は、プロテスタントに変わりましたが、その姉のメアリーはカトリックです。プロテスタントの治世になったり、カトリックの治世になったり、いろいろ変わるわけですね。
メアリーは、カクテルに名前が残っていますが、ブラッディ・メアリーと言い、赤いトマトジュースをベースにしたカクテルで、グラスの周りをぬらしてからお塩の上にポンと乗せますから、周りにお塩がついている。トマトジュースの色は血を表していて、血なまぐさいメアリーというわけです。なぜ血なまぐさい残虐なメアリーというかというと、メアリーはあまりにも敬虔なカトリック信者であったために、プロテスタントの人たちを虐殺したという歴史的事実があるわけですね。プロテスタントの人をものすごく虐殺したために、それを記した有名な本もあります。シェイクスピアの時代、これは大変大きな問題でした。
実際シェイクスピア自身について、彼の宗教が何だったのか、未だにシェイクスピア学者の間で議論があります。彼は当然エリザベス女王に仕えているのだから、当然プロテスタントのはずなのですが、シェイクスピアのお父さんは明らかにカトリックだった。カトリックの家庭に育った子が、果たしてプロテスタントに成り得ただろうか? いろいろな議論があります。
しかし作品を見れば、例えば『ハムレット』では煉獄から父親の亡霊が帰ってくると描かれますが、煉獄とはカトリックの概念でした。プロテスタントには煉獄というものはありません。それからまた、亡霊が帰ってくるという発想もカトリックのものであり、プロテスタントには亡霊はありません。そういうことを重ねていくと、実際何を信じていたかは、もちろんわからないですけれど、少なくとも彼の執筆世界の中においては、カトリック的な要素が漂っていることだけは間違いない。また、当時カトリックの人たちが集まっていたスタンレー家の元で、シェイクスピアはお芝居を書いていたということになるわけです。