シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

IV 登場人物にみる『ヘンリー六世』 安達まみ(英文学者)
2009年11月12日[木]

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図(7)マーガレットにひきかえ、第三部でエドワードを魅了し、彼の妻になるエリザベス・グレーですが、少なくともこの作品では、当時の女性の規範から逸脱していない人物として描かれています。
【図(7)】をご覧ください。
エリザベスの肖像画です。当時の最新流行のファッションをまとい、当時の美人の条件であったひいでた額が印象的な美しい人でした。三部作ではマーガレットと直接つながりませんが、続く『リチャード三世』では、栄華を極めたエリザベスがリチャードに息子たちを殺され、マーガレットと同じ運命を味わいます。やがてマーガレットとともにリチャードに呪いをかけ、リチャードの転落を予見させます。

次に、本日上演される第二部の見せ場に登場するジャック・ケードの乱について少しお話します。
ジャック・ケードは、複雑な構成をもつ人物です。歴史的には、1450年のジャック・ケードの乱とその前の時代の1381年のワット・タイラーの乱を混ぜ合わせています。それから、文化史的には、祝祭的なエネルギーの化身ですし、演劇史的には中世の道徳劇の悪徳や道化の役割を担っています。
ケード役は、シェイクスピアの時代には、一座の喜劇役者ウィル・ケンプによって演じられたとされています。
図(3)【図(3)】をご覧ください。右の人物がウィル・ケンプの肖像です。膝に鈴をつけましてモリス・ダンスを踊っているケンプの姿です。舞台をわかせたケンプの芸風が伝わってきます。このような役者がケードを演じていました。
史実の面では、シェイクスピアの種本によれば、「見かけが良く機知に富んでいた」とされています。実際に見かけのいい貴族的な人でなければ、ヨークの系列の貴族の落し種だぞと言って人々を惹きつけることはできなかったかもしれません。この芝居での特徴として出てくる暴力や読み書き能力への反発は、ケードの乱よりもむしろその前の時代の1381年の暴徒たちの特徴と言えます。
ここでは、ケードの読み書き能力への反発について考えてみたいと思います。
ケードには、既存の権威を覆す面と既存の権威を真似る面が混ざり合っていて、面白いところです。既存の権威を模倣する面では、自分で自分に爵位を与える行動に見られると思います。その一方で、反体制的で読み書き能力のできる人物を標的にしています。その一人がセイ卿です。
レジメ(9)をご覧ください。
「きさまはラテン文法学校などこさえて、国じゅうの若いもんを堕落させやがった、こいつはふらち極まる謀反だ。」
こんな調子でケードは一席ぶつわけです。その後、セイ卿がラテン語の言葉「良き土地、悪しき民」とつぶやきます。それを理由に死刑にしてしまいます。これは、当時ラテン語の聖書の一節を言える人は、殺人を犯しても初犯なら教会裁判所で死刑を免れたという慣行があったのを逆転させているんですね。ケードの新しい法律では、ラテン語の知識のある人は、それがあるために即縛り首になるわけです。この後、セイ卿が必死に命乞いをしますと、さしものケードもほろりとさせられて一瞬ひるむのが非常に面白いところです。マーガレットの人物造形にもあるようにシェイクスピアは揺れ動く人間の心理を描きこみ、ケードさえも単なる無秩序の権化以上のものに仕立て上げています。