シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

IV 登場人物にみる『ヘンリー六世』 安達まみ(英文学者)
2009年11月12日[木]

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今度は、マーガレットについてお話したいと思います。
レジメ(6)の年表に戻ってみてください。こちらでも明らかなように、作品ではジャンヌが捕まった直後に、マーガレットがサフォークに捕まるんですが、これはシェイクスピアによる時間の圧縮だということがおわかりいただけると思います。
史実ではジャンヌはすでに1431年に死んでいまして、サフォークがマーガレットとヘンリーの結婚交渉のために渡仏したのが1444年で、翌年ヘンリーとマーガレットが結婚していますから、舞台のようにジャンヌが退場してすぐにマーガレットが登場するということはなかったわけですね。これはシェイクスピアの企みというか、ジャンヌという、非常に演劇的に華やかな役が終わると、シェイクスピアの全作品中、最も演じがいのあると言われる女性マーガレットが登場するとう、見事な技です。

マーガレットに関しては、ほかの面でもシェイクスピアはかなり史実を操作しています。
(8)aをご覧ください。
サフォークは第一部の最後のほうでこう言います。
「マーガレットは王妃となり、王の心を支配するだろう、だが、おれは、王妃も、王も、王国も支配するだろう。」
お芝居では、このように第一部からすでにマーガレットとサフォークの親密な関係が築かれることが暗示されています。第二部では、実際にマーガレットとサフォークが結託して政敵の追い落としにかかります。ただ、種本にはここまでの描写はありませんでした。このあたりは、種本のヒントをシェイクスピアがおおいに拡大し発展させています。
あと、マーガレットとグロスターの妻エリナーの間に女同士の対決があるんですが、それも史実にはなく、シェイクスピアの創作です。
ひとつマーガレットの面白いセリフをご紹介したいのですが、(8)bです。
サフォークが殺されますと、マーガレットはその首を抱いて、夫のヘンリーそっちのけで嘆きます。その場面でやや意外なセリフがありますので注目してみたいと思います。
王「どうした、妃、まだサフォークの死を嘆いているのか? おそらくおまえは、この私が死んだとしても、これほど私のために悲しんではくれぬだろう。」
それに対してマーガレットは言います。
「悲しみはしません、あなたとともに私も死にますから。」
このセリフはいろいろと解釈の幅のあるものですね。何を読み込むかによって異なる演技が可能なのではないかと思います。つまり後半の「あなたとともに私も死にますから。」に重点を置けば、夫の死を追って死ぬ決意の貞淑な妻のように思えますね。またサフォークとの出会いがあっても、そのあとヘンリーの妻としての愛情が目覚めたのかもしれないと思わせます。
ところが、「悲しみはしません、」という前半に重点を置けば、極めつけの悪女になるのかなと思います。第三部では、すでにご紹介しましたロバート・グリーンのもじりにもあるように、「女の皮をかぶった虎の心」という言葉に集約される彼女の残虐さ、つまりヨークをなぶり殺す場面が鮮烈な印象を与えますが、単純な悪女として描かれているわけではないということが言えると思います。また、皇太子を目の前で殺されて、まるでイエスの遺体を抱えて嘆く聖母マリアのように遺体をかき抱くマーガレットの姿に私たちは心を打たれます。

その一方で(8)cの引用をご覧ください。
「今後もしおまえたちに子供ができたら、覚悟するがいい、その子はきっと幼くして惨殺されるだろう」
これは、マーガレットのヨーク家への呪いです。この言葉は、三部作の枠を超えまして、『リチャード三世』で殺されることになる、エリザベスとエドワードの間に生まれた二人の王子たちの運命を予感させます。マーガレットは三部作の登場人物の中で、三部作の続きとなる『リチャード三世』にも登場する唯一の人物です。それほど、シェイクスピアが入れ込んだ人物だったと言えると思います。
また、シェイクスピアは人気のあった少年俳優のためにおいしい役を書き続けていたのかもしれません。