シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

III シェイクスピアの時代に歌舞伎は何を描いたのか? 古井戸秀夫(歌舞伎研究家)
2009年11月11日[水]

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ところで、出雲のお国、出雲のお国と、私はずっと言ってきましたけど、お国は生まれた時から「出雲のお国」じゃなかったんです。天皇の前で踊った時には、単なるお国という女の子だったんです。それが日本全国を回って帰ってきて、出雲のお国という芸名を名乗るようになります。そして「私は出雲大社の巫女である」と言ったといわれている。先ほども言いましたように、誰一人歴史学者もそんなこと信じる人はいません。私ももちろん信じてはいません。信じていませんけれども、出雲のお国がそう言った気持ちは大切にしてあげたいと思っています。信じなくなると、人間というのは愛情がなくなりますよね。他の研究者は、出雲大社の研究ってあんまりしないんです。私は出雲大社の研究が大好きです。何で出雲のお国がそういうふうに言ったのかというのは、実は大社教を研究しないとわからないんです。
みなさんご存じのとおり、出雲大社と伊勢神宮というのは日本の神社の総元締めですよね。この出雲大社というのは、まだわれわれの祖先が天上界にいたころ、天孫が降臨をしてくる。その時に住んでいたのが出雲ですよね。その時に戦争しないで、国譲りと言って、じゃああなたに国を預けますと言ったのが出雲の国です。そこで出雲大社が生まれるわけです。今では大社教と言ってますけれど、その大社教の原型ができあがってくるのが実は秀吉の時代なんです。なぜそんなことができたかというと、秀吉は朝鮮半島に侵略をしますが、それまで国の中でずっと戦争してるわけですから、人も疲れてるし、お金もなくなるわけです。そして全国から若者を徴用して朝鮮半島に送り込んでいく、でもお金が必要だ、そこで税金をそこらじゅうから取り立てるわけです。宗教も例外ではなく、出雲大社にも高い税金がかけられた。そして出雲大社の神官のなかに大社に務めてる神官と、民間に布教していく神官がいるんですね。これを御師(おし)と言っています。御師は、そのときになると、大社の信教を民間にぱーっと広めていくんですが、ここででてきたのが大社教です。大社教の考え方の一番根本になりますのは、『日本書紀』に出てくる考え方です。すなわち天孫が降臨してきた時に、大国主命たちが国譲りをしましたねえ。そのなかにでてくる一節なんです。これはわれわれ普通あんまり気にしない一節ですけど、そこにポイントをおいているんです。

すなわち
「顕露(あらわに)の事は皇孫まさに治めたまうべし、吾はまさに退きて幽(かく)れたる事を治めん」
形になってはっきり現れる事、政治は天皇に任せましょう、私たちは、はっきりあらわれる政治の施策ではなくて。心の中のかすんで見えない部分をやりましょう。もちろん宗教というのはかすんで見えない部分が一番大事なんですね。その一番大きなことは、自分が死んだ後、どんなところへ行くのだろうか。あるいは、子孫は生まれてくるのだろうか。こういう何ともいえない事。ここが原点になり、秀吉の時にどんな信仰が生まれたかというと、大社教を信じると豊かになれますよ、お金持ちになれますよ、これを福神信仰と言います。その福神信仰を庶民に広めていくために日本人がよく使うのは、本来の神様ともう一つ別の神様をくっつけちゃう事。その時に選ばれたのが七福神。七福のなかで一番お金持ちというと大黒様ですよね。この大黒様と大国主命を一つにした。そこから福神信仰というのが生まれた。この福は、お金の福も大事ですけど、もうひとつ、人生では家庭という幸せがありますね。特に愛する相手との出会いが、もうひとつの幸福ですね。そこで縁結びの信仰が生まれてくるんです。ですから、出雲大社の縁結びの信仰というのは古代までずっとさかのぼる信仰ではないんです。
出雲大社といえば縁結びだとみなさんお思いになるでしょ、この縁結びの信仰というのは秀吉が朝鮮出兵をした前後、出雲のお国がかぶき踊を踊った前後、言い換えるならば縁結びのキューピットとして、お国は「私は出雲大社からきたんですよ」と訴えたんだろうと、私は空想しているんですね。
ですから、出雲のお国からだいぶ経った時代の絵本を見ますと、出雲大社のところに神様たちが集まってくる絵があります。ちょうど、今のこの季節ですよ。この季節は日本国中の神様は、出雲に行っちゃってるわけですよね。今われわれは神様のいない月、神無月ですけど、出雲では神有月と言います。私のところの神様は1カ月も何をしているのだろうかと、庶民ってそういう空想をしますよね(笑)。みんな自分中心ですから、私のことを何か悪いこと言っているんじゃないだろうかと考えて、そこから生まれてきたのが赤い紐伝説です。
すなわち男と女というのは、もともと縁のないものがなんで結びつくのだろうか、これはきっと神様が結び付けているのだ。出雲の国に全国から集まってきた神様が赤い紐の両端を引っ張る、そうすると自分のところの男と女が引っ張るんだという信仰がうまれてくるわけです。

まさに「かぶき踊」というのは、政治、顕事(あらわごと)は天下人の家康にまかせて、心の中に空白ができてしまった、そういう男と女のかすかな恋愛の気分、こういうのを天下一のお国は司っていたと思うんです。ただ、これが爆発的にヒットして、特に江戸では吉原の遊女たちがこれを真似て、小屋を建ててやりますと、そこに2万人や3万人という見物が来たんだそうです。そこでまじめなことをやればいいですが、これだけ着飾ったきれいな女が男装して、体をくの字にして恋の歌を耳元でささやいたら、心がさわぎますよねえ。それで幕府はこれを禁止するわけです。ついには女性が舞台に立つことも禁止して、代わりに出てきた美少年、が、これも禁止して、成年男子だけの野郎歌舞伎というものが生まれくる。これがひとつの規制です。

同時に幕府はもうひとつの事をやりました。
劇場がいたるところにあって、そこらじゅうで観た人の気持ちが高揚してしまっては危ない、そういう危ないものはどこか1カ所にまとめてしまおうと、これを囲い込みと言います。ですから、お芝居とか、遊郭とか、こういうことを囲い込んでしまう。囲い込んだ時に、江戸の幕府というのは、非常に巧妙なやり方をするんですね。上から高圧的にやると同時に、町人たちの意欲を利用するんです。それは自主規制ですね。できるだけ自分たちでやらせるんです。囲い込んで、そこに閉じ込めた人たちに特権を与えて、「あなたたちだけに芝居をやらせますよ。でも、あなたたちは自分たちでそれを守ってくださいね」という自己規制をさせるんです。

どういう芝居をやったかというと、まず定住させること、芝居町に住まなくてはいけない。もうひとつはいつも上演していい。定住する芝居のことを定芝居。いつ上演してもいい芝居、これを常芝居、この常芝居制度というのをつくったのが大きな特色なんです。
ですから、俳優たちはそこで演劇をやるためには、ずーと演劇をやり続けなければいけない。しかも観ている観客も一緒に住んでる人で、やってる俳優も一緒に住んでる人で、いわば同じテリトリーにいる人たちが、そこでお芝居をやり続けなければいけないんですよ。これは非常に難しい問題なんです。『ヘンリー六世』の評判がいい、だからといって、5年間ずっと打つなんてできませんでしょ。それをずっとやらなければいけなくなるんです。しかも特権として与えられましたから、夜明けから日没まで、約12時間近い芝居をやらなければいけない。これはすごい難しいことだと思いますよ。,『ヘンリー六世』は入れ替えも含め全部やりますと11時間ちょっとですか。ですから江戸時代に帰ったようなもんですよね。
私は、実は毎月そういう気分を味わっていまして、今月もおととい歌舞伎座に行ってきしたけど、『仮名手本忠臣蔵』をやっています。朝11時に行きまして、はねるのが9時ですよね。最近はしんどいんですよね(笑)。ですから最近は2回に分けるようにしているんですが、今月はスケジュールがどうしてもとれなくて、昼夜続けて観ました。体は疲労困憊ですよね、でも心は豊かですよね。まさに『ヘンリー六世』もそうですよね。
同じ英国史をずつとやっていますが、次から次へと主人公が出てきて、いったい誰が主人公なんだろ、あっ、みんな主人公なんだと、いっぺんに20本ぐらいの芝居を楽しめるわけですよね。でも、これは何年に1度だからできることなんですよ。