シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

II シェイクスピアは『ヘンリー六世』で何を書いたか? 松岡和子(翻訳家)
2009年11月5日[木]

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【行動する台詞】
そろそろ時間がなくなりますが、始めに申し上げた昨夜になって気がついたこと。
それもやはりシェイクスピアの言葉の力に関わる発見なんです。
私はシェイクスピアの言葉の力に打ちのめされながら、とうてい原文の重層性や音の面白さや、イメージの込め方にはかなわないなあ、どうやったらそれと匹敵する日本語、少しでもそれに近づく日本語にできるだろう、という思いでやっているんですけど、やはり今回もその言葉というのはすごいなぁと思いました。

私はレジメに【行動する台詞】と書きましたが、こういう言葉が私の中に生まれたきっかけは、イギリスの演出家ディビット・ルヴォーさんと一緒に仕事をしたことです。作品は『マクベス』で、マクベスを演じたのは松本幸四郎さん、マクベス夫人が佐藤オリエさんで、この中にはさまざまな人物が出てきて、やはりこれも王様の一派とマクベスとの対立とか、マクベスとバンクォーとの対立とか、いろんな対立が出てくるんだけれども、マクベスが魔女に会った直後に、ダンカン王の使者としてロスとアンガスという人物が登場します。ダンカン王がマクベスをコーダーの領主にしたと報告する。その役者さんたちに向かってルヴォーさんが、「シェイクスピアの台詞には確かに一見するとただの情景描写だとか、状況説明に思える台詞があるけれども、実はそんなものは一つもない、どんな台詞も、どんなにただの状況説明に見える台詞も、必ず相手を動かそうとして書かれている」とおっしゃった。私は、なるほどと思い、日本語でもそういうエネルギーを込めた言葉にしなければいけないとちょっとまた負荷がかかってしまったんだけども、その最たるものが、やはり説得であり、勧誘であり、罵倒であり、呪詛ですね。説得はまさに相手を動かそうする発語です。『ヘンリー六世』で言えば、バーガンディ公爵をイングランド軍からフランス側に寝返れと、そのほうがあなたにとっては正しいことなんだとジャンヌが説得する時の、あの台詞なんかがまさに行動する台詞ですよね。勧誘もそうですし。

そして呪詛、呪いについてちょっと考えてみたいんですが、日本人ってあんまり呪いませんよね、悪態とか罵倒の強いのが呪いcurse(カース)、になるわけですが、これには本当に圧倒されますね。『ヘンリー六世』には呪いそのものがテーマになった台詞がある。
サフォークがヘンリー六世から、今後3日ののちにお前がこの領土内で見つかったら即刻死刑だ、死刑になりたくなければ国外へ出ろと言うふうな判決を下す。マーガレットとサフォークは別れなければならない。その時に、まずマーガレットがそういう命令を出した夫であり王であるヘンリー六世を呪う。サフォークがそんなに呪うなと言うと、マーガレットは「自分の敵を呪う根性もないのか」と言うんですね。そこでサフォークの呪いがぶぁーっと噴き出す。呪えと言った当のマーガレットが引いてしまうくらいですね。この呪いということについてですが、先ほどの【行動する台詞】という言葉が私の中に生まれるきっかけをくれたルヴォーさんと同じく、呪いということに関して私の目を開かせてくださったのが、亡くなった臨床心理学者の河合隼雄さんです。
河合さんとは何本かのシェイクスピア劇について対談する素晴らしい機会に恵まれまして、それが『快読シェイクスピア』という本にもなりました。
河合さんと『リチャード三世』をテーマにお話した時のことですが──この『ヘンリー六世』ではまだ美貌の若い王妃であるマーガレットが、『リチャード三世』では、もうおばあさんという、魔女のようなおばあさんという姿で出てきて、ありとあらゆる人物を呪います───私が「この作品における呪いってすごいですね、いったい呪いってどういうことなんでしょう」と言ったら、河合さんが「呪いは弱者の武器です」とおっしゃったんですよ。ああ、と思いましたね。もう、弱者には呪うことしか武器がない。別の言い方をすれば、そう、蟷螂の斧という言葉があるでしょ、かまきりの斧ですね。そういうちっちゃな虫が振り下ろす斧くらいしか力はないわけなのよね。本当に権力をもっていたら、呪う必要はないわけです。やっつけたいと思ったらやっつけちゃえばいい。でも、やっつけたいと思ってもやっつける力はない、権力はない、人を雇って間接的にやっつける金の力もない。そうなった時には、天を動かして天から罰を下してもらうための呪いしかないんですね。
そう思って見ると、『ヘンリー六世』でもありとあらゆる人物、ほとんどの人物が呪います。例えば、あれだけ王位を狙って一時はヘンリー六世をその玉座からじかに追い落とし、次の王位継承者だと言われ、息子たち3人から今すぐ王位に就いてと言われた、あのヨークですら、紙の王冠をかぶされて愚弄されて、そして首をはねられるわけですけども、その時のヨークの台詞に呪いが入る。第三部第三幕の第一場。三部が始まった早々に彼は殺されてしまうわけですけども、ここで呪う相手はクリフォード、ヨークの一番下の息子のラトランドを、幼い子供が懇願するにもかかわらず、殺してしまった男です。その血をひたして、そのハンカチで涙をふけと言ったマーガレットをも呪います。
「さあ、王冠を持って行け(これはもちろん自分がかぶせられた紙の王冠です)、その王冠に俺の呪いをつけてやる、やがて窮地に陥ったとき、お前に訪れる慰めは、いま俺がお前の残酷な手から受けるようなものであれ。冷酷なクリフォード、俺をこの世から送り出せ、俺の魂を天国へ、俺の血をお前たちの頭上に」というように。 この場のヨークは一矢報いるどころか、ちょんとつつくくらいの抵抗もできないし、まして仕返しはできない。これがかつての権力者ヨークの最後の言葉です。呪うということが敗者弱者の武器だということがよく分かりますね。