シェイクスピア大学校


『ヘンリー六世』上演記念 シェイクスピア大学校
6回連続講座
芸術監督:鵜山 仁
監修:小田島雄志 河合祥一郎

II シェイクスピアは『ヘンリー六世』で何を書いたか? 松岡和子(翻訳家)
2009年11月5日[木]

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【人】
対決、対立と同時に、今度は人間関係とか人を描くというところに入っていきたいと思うんですけれども、父と息子というものがものすごくたくさん描かれている。
特に、父と息子の絆の強さですね。これがまた、上から下までなのね。第一部で印象的なのは、いうまでもなくトールボットとその息子のジョンですね。これはもう、私は訳していて泣きました。本当に、「うっ」と、もう嗚咽がもれるくらい、泣いちゃったんですけれども。トールボットがジョンに逃げろと言う、自分はここで戦死しても構わないけれど、息子よ、お前は生き延びてくれ、生き延びて俺の仇を討ってくれ、お前が死ねばトールボットという一族の血も絶えてしまうんだからということを、お父さんは一生懸命に説得するんだけれども、ジョンは従わない。いや、私はトールボットの息子でしょ、恥をかくような真似は自分でしたくないと。父は、じゃあ一緒に戦って死のう、必ず自分のそばで戦うんだぞと言う。もうそのあたりのところがね、何なんでしょうね、訳していて泣いちゃうというのは、どういう心理なんだか……。第一部では、この二人が父子として一番大きい存在なんだけれども、第一部の父子ではもうひと組、オルレアンの包囲戦の時に、フランス軍の砲台長とその息子というのが出てきます。お父さんの役目を引き継いで自分が大砲の導火線に火をつけて、その結果イングランド側の武将3人が死んでしまう。イングランド軍に多大な打撃を負わせる。この父子のやりとりはカットされることが多いのですが、とても印象的なシーンです。それから言うまでもなく、ヨーク公爵とその3人の息子ですね。ヨーク公爵リチャード・プランタジネットと3人の息子、エドワード四世になるエドワード、クラレンス公になるジョージ、それからやがてリチャード三世になるグロスター公リチャードの3人の息子との関係。それからキングメーカーと言われたウォリック伯爵とその父親のソールズベリーとの絆も強い。二人は常に行動を共にします。
父と息子の強い絆というのも上の階層から下まで描かれていて、『ヘンリー六世』の名場面をいくつか挙げなさいと言われたら必ず入ると思うんだけれど、第三部で、ヨーク側とランカスター側の激戦がもう何回も何回も繰り返されて、両軍が疲弊してしまっている。それでヘンリーは、あなたが戦場に出てくると負けちゃうから引っ込んでろというふうに奥さんのマーガレットに言われて引っ込むんですけれど、それで偶然、知らないで息子を殺してしまった父親、それから父親とは知らずにお父さんを殺してしまった息子という、いわば左右対称ですね、それをヘンリーがそれぞれの嘆き悲しみの言葉を聞いて、自分も王として嘆くという、非常に様式的な場面がありますけれど、これも父と息子の関係。

そしてほかでもない、ヘンリー六世とエドワード五世になるはずだったヘンリーの息子エドワードですね。面白いのは実際の親子の絆、父と子の絆の強さというのは具体的な人物が出てきて、私たちの目の前で絆の強さを見せてくれるわけですが、その台詞の中にギリシャ神話の中の陽の神ポイボスとその息子パエトン、お父さんの太陽を東から西へと動かす馬車を僕に乗せてと言って暴走させ、海に落ちてしまったという親子だとか、もうひとつ有名なのはダイダロスとその息子イカロス。イカロスという名前はたぶんお聞きになったことがあると思うんですけど、ダイダロスはギリシャ神話に出てくる工芸とか建築とか、ものつくりの優れた人物なんですね。そのダイダロスが、自分のつくった迷宮の中にミノス王によって閉じ込められちゃって、そこから脱出しようというので翼をつくる。蝋で羽根をかためた翼をイカロスにも自分にもつける。ところがイカロスは飛び立ったのはいいんだけど、太陽に近づきすぎたために接着剤である蝋が溶けてやはり墜落してしまう。子供のために翼をつくったはいいけれども、翼のせいで子供が墜落死してしまう、そのダイダロスとイカロスのイメージもよく出てくるのです。
トールボットは自分をダイダロスに、息子のジョンをイカロスになぞらえている。これは本当に戦う親子だからぴったりなんだけれども、最後の最後になってヘンリー六世が自分をダイダロスに、そしてまだ10代で暗殺されてしまった皇太子エドワードのことをイカロスになぞらえているのね。ちょっとダイダロスはヘンリーになぞらえたくないんじゃないかなと(笑)思うんですけど。戦わない父親だから。でもシェイクスピアは、それをひとつのアイロニーとして使ったんじゃないかなとすら思います。

よく言われているというか、これは定説なんですが、今私たちは『ヘンリー六世』第一部第二部第三部の順序で読んだり観たりしていますけれども、シェイクスピアは二部三部を、まず二部作のつもりで書いて、これがものすごく好評だったので、エピソード1のような形で第一部を書いたんじゃないかというのが定説になっている。ですから父と子をダイダロスとその息子のイカロスになぞらえるというのも、ヘンリーのほうが先にちょっとひねったというか、皮肉な形で使って、それを正面からまごうことなきダイダロスとイカロスだなというのを第一部でトールボット父子として書いたんじゃないかなといううふうに思います。