大駱駝艦・天賦典式「罪と罰」の記者会見が開催されました


1月24日(水)、2017/2018シーズンダンス公演 大駱駝艦・天賦典式「罪と罰」の記者会見が新国立劇場内で行われ、大駱駝艦主宰の麿 赤兒さんと舞踊芸術監督の大原永子が会見に出席しました。

話題は多岐にわたり、笑いの溢れる温かな雰囲気の記者会見となりました。


大原永子舞踊芸術監督

新国立劇場開場20周年のシーズンにおいて、舞踏の公演を上演できることは大変光栄なことです。しかも新制作ということで、麿先生のイマジネーションと人生哲学等が込められた作品になるのでは、と楽しみにしております。


麿 赤兒さん

縁あってと言いますか、長い戦いの革命の末に、国立の劇場という牙城を乗っ取ったぞ! くらいの気分で作品を作ろうと思います(笑)。私の師匠であります土方巽に、もし国立の劇場でやると言ったら一体どんな顔をするだろうと思いますね。時代の流れ、人の流れは変わっていくのだなと思います。

若い頃、ドストエフスキーの作品から影響を受けました。ドストエフスキー作『罪と罰』の主人公はあのあとどうなったのだろうか、現代生きていたらどうなっただろうか、などと妄想が膨らんでいます。

人間のプリミティブな感性にはまず恐怖があり、怯えがあり、そこで神様が想定され、神様との取引がある。演劇も音楽もですが、ダンスもその取引材料の1つだったと思うのです。ところが時代と共に怯えの質も変わってきて、非常に自然的な怯えから人間的な怯えに変わってきた。近現代にいたっては、複合的な怯えと言いますか、社会や生活、科学の発達による根源的な怯えというものがあると思うのです。人間が目覚めれば目覚めるほど、その怯えがどんどん大きくなっていくところがありまして、その怯えがあまりに大きくなりすぎると社会的な犯罪につながってしまったり......ということを考えています。

最近、うちの舞踏は明るくなりすぎているので、もっと暗くして真っ黒けにしてやろうという気がしています(笑)。灰色の中で囚人たちがぞろぞろ歩いているような、陰々滅々たる舞台にしてやろうと。ある意味、みんな亡霊と言うか、人類が死んでしまって影がうごめいているような舞台。まあ、たいてい僕が耐えられなくて、遊びを入れてしまうんですが......(笑)

音楽については、今回はクラシックだけを使う予定で、クラシックをどーんとかけますと、何もしないほうがいいですね(笑)。クラシックの偉大さを改めて見直しています。ドストエフスキー辺りの、ムソルグスキー作曲『はげ山の一夜』とかで遊んでいるんですけどね。さまざまな楽曲のいいところだけをコラージュのように使うことになると思います。

新国立劇場 中劇場の舞台には盆があるので、盆を精一杯使わせてもらおうと思っています。通常、盆は舞台転換という意味で使われますけれど、僕はそういう意味ではなく装置として生かしたい。ほかの美術は省略して身体を浮き立たせようと思っています。




大原永子舞踊芸術監督(左)と麿 赤兒さん(右)






◎「罪と罰」公演情報は
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