ベルリン演劇祭<テアタートレッフェン>
THEATERTREFFEN

テアタートレッフェン会場

1964年以来、毎年5月になるとドイツ語圏のもっとも重要な演劇フェスティバルのために世界中の演劇制作者やジャーナリスト、招待客がベルリンに集まってくる。「テアタートレッフェン」(「シアターミーティング」)は一つの言葉で定義することができない。それはフェスティバルではなく、いくつもの特徴があり、オリンピックでもコンテストでもないのに、審査員がいる。特別な立地の良さがあるわけでもなく、観光の目玉でもなく、一般向けの見本市でもなく、専門家のシンポジウムでもない。でも、そのすべてがある。「テアタートレッフェン」とは、いったい何なのだろうか。
テアタートレッフェンの中心となるのは、毎年独立した立場の審査委員会によりそのシーズンの約400の上演作品のなかから選ばれる、注目すべき10の演出作品である。ドイツ語圏の国は現代の映画やダンス界にとってもっとも重要な地域でないことは確かだが、演劇に関しては世界で一番実り豊かなシーンであるのは絶対に間違いない。まさにそのことが、このテアタートレッフェンの核となる、ベルリンに招待されるべく選ばれた10作品をよりスリリングなものにしている。活発な市立劇場の文化があり、同時に世界中の芸術家を引きつけ、他の芸術とネットワークを形成する国際的な演劇シーンが育っている、……このようなドイツ語圏の国の演劇美学はどこへ向かって発展していくのか。それにより、社会の現状が見えてくる。そしてまた世界中の人々がどんな経験をしているのかも。

テアタートレッフェンの骨子となるもう一つの要素は、戯曲マーケットである。それは、1978年に、まだ発掘されていない作家の未公開作品をリーディングを通じて初めて世間に発表するプラットホームとして始まった。2014年からは新境地を歩んでいる。そうして戯曲マーケットは先駆的な衝撃を与える存在としての役割を果たすため、変化する演劇状況に応じている。そして作者という概念は拡大している。すなわち、従来の意味での戯曲テキストと並んで、それ以外の文学的なパターンやさまざまなパフォーマンス的な実験、またインスタレーション的なアプローチも演劇に組み入れられ、それによって最新の演劇形式の包括的かつ対立的な現状分析が可能になっている。戯曲マーケットでさまざまな異なった傾向の作品を見比べると、演劇作品の著作権の問題が、現代では非常に幅広く理解される複雑なものであることがわかる。

国際フォーラムは50年前から続く、テアタートレッフェンのもっとも古い基幹プログラムである。1965年のテアタートレッフェンのパンフレットには、「若い芸術家にベルリンの演劇コンクールを直に体験してもらい、さらにそれを超えて個人としても専門家としても現在の焦眉の問題に引き合わせるというもくろみは、演劇界発展の利益と直接つながっている」とある。この言葉は今日なお、フォーラムの基本理念として生きている。65年以来、ベルリン祭では2,126人の給費生を国際フォーラムに招待をしてきた。国際フォーラムでは同時に活発な能動性、意見交換、比較、対立、保護、開放性もその特徴である。それはすべての分野における国際的な演劇人のための、特別な、しかし透明性の高いアカデミーである。

2014年、テアタートレッフェン・キャンプによって、さらに将来の指針となるような柱がテアタートレッフェンに現れた。演劇とその内容、芸術的な発展について話し合う場である。キャンプでの対話とワークショップを通じてロビーの扉が開かれ、会場であるハウス・デア・ベルリナー・フェストシュピーレに日の光が差し込んだ。このアナログな対話部屋は演劇仲間の活気に満ちた場所であり、舞台の動向を、我々が生きる現在と最新の(グローバルな)演劇の社会的・政治的に重要なテーマとを結んでいる。しかしキャンプはそれ自体が最初から共同社会なのではなく、それは共同社会から生まれるものでもある。このシンプルな形のキャンプの目的は、演劇制作者と後継者となる次代の芸術家、国際フォーラムの給費生、審査員メンバー、外部のゲスト、観客が一堂に会することである。

まだ言及していないのがテアタートレッフェン・ブログである。フェスティバルの最新の内容を実験的な方法でデジタル入手できるだけでなく、インタビューや音声、ビデオクリップ、イラスト、写真、独・仏・英語のテキストなどによって批判的にコメントするものである。そしてナイト・プログラムも忘れてはならない。トロフィーの授与やプレミア祝賀会、公開討論会に加えて、コンサート、パーティ、または単に演劇人や観客と直接会う機会がある。

では、いったいテアタートレッフェンとは何であろうか。それは観客向けのフェスティバルであり、教師の会合であり、専門家の集会であり、そして虚栄の市でもある。また最高の作品の上演であり、もっとも優れた者たちが1年間の辛い仕事の後で行う自由演技でもある。賞を授与し、後継者を打診し、討論やワークショップを行い、パーティを開く。
テアタートレッフェンは注目すべき10の演出作品以上のものである。演劇界を祝福し、個人を称え、トレンドの発見を期待させるものである。それはもはや、優れたものに敬意を払うだけではない。創造的行為という勇気、そして期待以上のものを秘めている挑発でもある。ドイツ語圏の演劇はかつてないほど国際的になっている。ドイツ語圏だけでなく、世界に向けて、そして世界中で制作が行われている。新解釈による演出に加えて、創作や、作者自身による演出という形も同等に扱われる。
テアタートレッフェンは審査員に対する反乱未遂や、代替演目の招聘という事態も乗り超えてきた。それはこのスケールが比類のないエネルギーをもって、特別であることを約束してきたからである。特別であるとは、テアタートレッフェンにおいては決して出来の良い舞台だけを取り上げるのではなく、我々が芸術について語るときに望むような社会も問題にするということである。人々が51年前からこのベルリンの5月のフェスティバル週間に経験してきた生きた演劇は、我々の社会を幸せな方法で強め、鋭敏にするパワーをもっている。それこそがテアタートレッフェンである。

イボンヌ・ビューデンヘルツァー[テアタートレッフェン 総監督]

<2014.9.10発行『三文オペラ』公演プログラムより>