ウィーン芸術週間
Wiener Festwochen

2011年の会期中、国立オペラ座脇に設けられたバナー

都市ウィーンの地政学的位置

8カ国に囲まれたヨーロッパの内陸国オーストリアは、今でこそ北海道とほぼ同じ面積だが、かつては広大な国だった。およそ100年前まで、約8倍の大きさのオーストリア・ハンガリー帝国が、現在のチェコ、スロヴァキア、スロヴェニア、クロアチア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ポーランド、ルーマニア、ウクライナ、イタリアといった国々の全部または一部に版図を広げ、帝都ウィーンは何百年と栄えた。それが今や、国は狭まり、人口はわずか850万人弱。170万人ほどが暮らす首都は東の端にあって、地図を見ると、右を向いたオタマジャクシの大きな目のようだ。スロヴァキアの首都ブラティスラヴァまで電車で約1時間、ハンガリーのブダペストまでは約3時間。後者は西方、国内の都市ザルツブルクへ行くのとそう変わらない。
ウィーン芸術週間(以下「芸術週間」)で公にされる国際色豊かな演目の数々は、この都市の、前述のような歴史や地政学的位置と無関係ではないように思われる。昔も今もこの街は、多くの民族が行き交い、足跡を残していく国際都市なのだ。

概要と歴史

芸術週間は毎年5月から6月にかけての1カ月強にわたって開かれる。市内各地の劇場やホール、あるいは市庁前広場を始めとした野外で、演劇、パフォーマンス、ダンス、オペラ、コンサート、インスタレーションといったさまざまな催しが展開されるが、2014年の場合、22カ国からの37の催しのうち、世界初演が2つ、新制作が3つ、欧州初演が2つ、ドイツ語圏初演が9つあった。ドイツのタールハイマーやイタリアのカステルッチといった、日本でも公演を手掛けた人々が名を連ねる一方、オーストリアの映画監督ハネケ(『白いリボン』『愛、アムール』)演出のオペラや、国内随一の格式を誇るブルク劇場での、テクノ音楽の先駆け、クラフトワークによるコンサートもあった。
ただ、このような華やぎが芸術週間の設立当初からあったわけではない。むしろそれは、いわば瓦礫から生まれた。第二次世界大戦敗戦後まもなくの1951年、打ちひしがれた国の文化を奮い立たせる目的で、芸術週間は始まった。そして国の復興・発展とともに、その代表的フェスティバルとして定着していく。数多くの企業から協賛を受け、演目も会場も増え、2001年からは市内の主要劇場だけでなく、見本市会場を改装したミュージアム・クォーター(「美術館・博物館地区」)が加わり、その複数のホールが頻繁に使われている。また一昨年まで行われていた、学校を始めとする諸団体との協働作業による催しの一群、「Into the City」も注目される。
主な創り手については、指揮者アバドや、ガンツ(『ベルリン、天使の詩』)、クレーファー、フォスといった名優、ボンディほかの演出家の仕事が輝きを放ってきた。そのなかで、演劇/パフォーマンス/芸術史上の記念碑的事件として今も語り継がれているのが、シュリンゲンズィーフの『オーストリアを愛してね!』(2000)だ。これは当時人気のテレビ番組をモデルに、国立オペラ座のすぐ隣に置いたコンテナに難民の人々を入れ、観衆の「不人気投票」によって一人ずつ国外追放にするという過激なプロジェクトで、同時代オーストリアの政治・社会問題を痛烈に批判する鏡となっていた。

日本との縁

ところで、近年の運営体制についてみると、総監督のもとに経営代表と演劇監督がおり、音楽監督がときに並立する形が続いている。そしてこれまでの演劇監督というのが、日本に少なからぬ関心を寄せる人々だった。
昨年の演劇監督は、ベルギーの芸術祭、クンステン・フェスティヴァル・デザールの創設者として知られるフリー・レイセンだった(同芸術祭には岡田利規のチェルフィッチュが複数回招聘されている)。彼女のもとで、日本からはタニノクロウ(庭劇団ペニノ)の『大きなトランクの中の箱』と、静岡県舞台芸術センター(SPAC)が関わったクロード・レジ演出のメーテルリンク作『室内』が招かれた。
さらに一昨年までの演劇監督、シュテファニー・カープも繰り返し日本から創り手を招聘している。彼女はマルターラー演出『巨大なるブッツバッハ村』(2010年日本公演)のドラマトゥルクでもあるが、その共同製作主体のフェスティバル/トーキョーを繰り返し訪ね、リサーチをしていたのだろう。追って芸術週間では、11年にPort Bの野外プロジェクト『個室都市ウィーン』とポツドールの『夢の城』が、13年にはチェルフィッチュの『地面と床』が演目に並んだ。

「祝祭」週間?

さて今年、2015年についてだが、この文が公になるころ、まさに芸術週間はその真っ最中である。開幕はメータ指揮のウィーン・フィルによるシェーンブルン宮殿での野外コンサートと華やかで、数の点では20カ国から40の演目と、昨年とほぼ変わりない。カストルフ演出の『カラマーゾフの兄弟』を始め、注目の公演も多くある。ただ、そのプログラムにカープやレイセンの名はない。
複数年契約だった演劇監督の職を1年で辞したレイセンは、地元紙で経営陣を容赦なく批判する。主たる問題は「ヴィジョンの根本的欠如」だといい、その経営は「封建的なシステム」で、仕事のやり方は「骨董品的で柔軟性がない」とまで断じる。あるいは、カープがいちど筆者に打ち明けたところでは、保守的な演目と実験的な演目のバランスをとることが重要で、そして困難だという。それもこれも、つまるところ、古都の気風のせいかもしれない。
今年2015年の演目については、レイセンが退いたとはいえ、彼女による準備が少ならずあってのものだろうから、傾向の変化に注目すべきは来年以降だ。芸術週間は、実のところ、「芸術週間」を原語に忠実に訳すると「祝祭週間」となるが、「芸術」が供されてそれが楽しまれるという因習的な構図ではなく、芸術と日常空間が混淆する「祝祭」の場を今後どのように現出させるかが、いま主催者が抱える焦眉の課題のように思われる。

萩原健[明治大学国際日本学部准教授]

<2015.6.10発行『東海道四谷怪談』公演プログラムより>