インドネシア

ナショナルシアター……?

インドネシアにナショナルシアターは存在しない。衝撃の事実。
国立の舞踊団・劇団・管弦楽団も皆無である。
世界的にも有名な文化豊富な国で、外国からのパフォーマンスも多いというのに!
人口2億人超・450を超す民族・600以上の言語を有する超大国なのに!

だからこそナショナルシアターが存在しないとの見解も。なんだか、矛盾するような気もするが、事実でもある。それぞれの民族の文化が大変強く、「これがインドネシアの文化」と簡単に言えるものがない。言語も字幕が付かないと地方語は理解できない。あくまでもインドネシア語は、1928年10月に公用語として制定されたばかりの「公の言葉」であって、普段の生活で使うのは「私の言葉」である地方語である。地方語は方言ではない。違う言語なのだ。表記さえ違う。インドネシア語で台詞を話すことは、外国の脚本を読むのと似た感覚なのだ。言葉のリアリズム議論によくなるのはそのせいである。

バリ芸能は日本でも有名だが、たったひとつの島の文化にすぎない。

1万7000以上の島に住むそれぞれの民族が、それぞれの文化をもっている。

そして、誰もが自分の文化を一番愛している。さらに地域芸能は宗教儀礼や社会と密接な関係にある。

もし、どこか特定の文化を「インドネシアの文化だ」、などと言ったものなら、起きなくていい紛争や宗教戦争までもが勃発しかねない。他民族の文化を尊重はしているが、容認はしていない。何しろ、インドネシア共和国として国家が独立したのは、1945年8月17日。最近の話なのだ。

そんな背景から、西洋文化、オーケストラやバレエが昨今のブームであっても、ナショナルシアター建設の話が出てこないのかもしれない。

公営劇場

インドネシア政府のDinas Pariwisata dan Kebudayaan(観光文化局)が、各州・都市に設置しているTaman Budaya (文化公園)。ただし、地域格差が大きい。バトンが降りる劇場はほとんどない。

公営でも、政府ではなく、州・都市単位で運営している劇場の方が施設が整っている。(バトンのあげおろし可能・常備されている照明・音響設備等)

なかでも有名なのは、首都ジャカルタ州が運営している4つの劇場。

① GKJ (Gedung Kesenian Jakarta)/ジャカルタ芸術劇場

オペラハウスとも呼ばれてるオランダ建築様式。
客席数:475席
舞台:10.70m×14.80m×4m
建設:1821年
何度も名前や機能を変えながら、この名前で芸術目的の建物として機能し始めた年は1987年9月。

1968年10月に建設された、映画館・レストラン・プラネタリウムなどがある商業施設、TIM(taman ismail marzuki/イスマイル・マルズキ芸術公園)。その中に3つの劇場が隣接。

② GBB (Graha Bhakti Budaya)/文化会館

客席数:810席。200席はバルコニー
舞台:15m×10m×6m

③ Teater Kecil/小劇場

客席数:244席
舞台:10m×5m×6m

④ Teater Jakarta/ジャカルタ劇場

客席数:1240席
舞台:16m×16m

ただし④だけは政府の運営。同じ敷地内にありながら、運営が違うという理由から、情報をまるで共有していない。これに代表されるように、問い合わせや情報収集が大変困難。口コミやインターネットが有力な手段とはいえ、告知が遅い。

そんな状況に反して、観客は大変多い。チケット料金が高く、渋滞がひどいジャカルタでは集客が難しい現状だが、地方ではものすごい数の観客が押し寄せることも。

しかし、せっかくの新しい劇場でも、観客席に問題があったりと、外観は大変モダンなのに、使い勝手や効率の悪さには辟易する。

多分そこには、劇場以外での公演が多い芸能の歴史がある。

  • プンドポ(壁のない柱が立つだけの建築様式)やオープンシアターでの上演が通常な伝統芸能の世界。
  • 大衆演劇に値するクトープラッは仮設の舞台。
  • 影絵劇のワヤンは自宅に呼ばれての上演も。

どこもが劇場となり、だれもが観客であって、参加者になりえる。

だからこそ、インドネシアの演劇や舞踊は、施設や照明に頼らず、生身の身体とライブ音楽のなかで、大変レベルの高い表現になってきたのではないだろうか。劇場での公演が普通になってきた今でも、演者は当然のようにフレキシブルである。

そして今。演劇は、閉鎖された劇場を、いかに開かれた空間に変えられるかが、しばし話題にあがっている。

ちなみに公演は、時期にもよるが、数はそう多くない。公演回数も1、2回が主流である。

私営総合芸術コミュニティスペースの登場

あらゆる表現が厳しく規制されていたスハルト政権時代が32年もの間続いた。
規制の目をかいくぐっていかに表現するかで、数多くの名作が生まれた。言葉ではなく、身体を使った表現が発展してきた背景である。

1998年に政権が崩壊し、すべてが自由となった今。混乱の時代を迎えてる感は否めない。

今までの目的の矛先が急になくなり、新しい問題が。

  • 演劇とは何か。
  • 踊りとは何か。
  • ビジネスに向かって走っている危険な現状も。

身体能力の高さと自由な発想が魅力のインドネシア芸術。

コンテンポラリーの世界でも、ベースに伝統芸能があることで、世界では真似のできない現代作品となっている。それが、西洋からのテクニック志向や憧れによって、薄れてきている。

また、団体維持も難しくなってきて、プロデュース公演やミュージカル、内容の希薄な公演が増えてきた。

そんななか、芸術をビジネスとだけ考える思考の危険性に、いち早く敏感に感づいた芸術家が大勢いる。

そこでは、あらゆる表現者たちの垣根を取り払い、新しい文化コミュニテイを作る試みが生まれている。

インドネシアでは唯一のブラックボックス劇場をもち、3800平方メートルの敷地内に宿泊施設・展示スペース・カフェ等併設している、ジャカルタのsaliharaは、初の私営総合芸術コミュニテイスペースとして大変成功している。

⑤ Salihara/サリハラ

客席数:252席。収納式
舞台:24m×13.8m×6.4m
建設:2008年8月

まさに過渡期。今後の芸術界の行き先が楽しみである。
しかし今後も、流行りや傾向を知るにはジャカルタ。
本来のインドネシア独自の面白さが堪能できるのは地方。
このスタイルは変わらないであろう。

[横須賀智美 女優、インドネシアを中心に、さまざまのアジアの演劇人とコラボレーションしている]

<2014.4.3発行 演劇『マニラ瑞穂記』公演プログラムより>