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北のゲージツ、南のエンタメ
「北の演劇人は、能書きが多く、頭でっかちに過ぎる。観客は、ゲージツを理解したくて演劇を観に来るのではない。一日の疲れを癒すため、エンターテイメントとして観に来るのだ」
これは南部の中心都市であり、ベトナム経済を牽引する商都ホーチミン(かつてサイゴンと呼ばれ、今もそう呼ぶ南部出身者は多い)で活躍している演劇人から聞いた言葉だ。北の演劇人とは、ベトナムの首都ハノイを拠点に活動する演劇人を意味する。
1954年から76年まで南北に分断されていたベトナム。かつて国として分断されていただけでなく、それ以前の長い歴史においても、南部がヒンドゥ教とポリネシア文化、北部が中国の儒教文化の影響を色濃く受けてきたことや気候の違いもあって、一般的に、ホーチミンっ子(南部)は、明るく開放的で柔軟、ハノイっ子(北部)は、礼節を重んじ、生真面目で保守的、と気性が異なるといわれる。
それに加えて地理的にも、ハノイとホーチミンは直線距離で1100キロ以上(東京─鹿児島間以上)離れており、ベトナムの劇場を語るにあたっては、このような南北の違いに留意する必要がある。
国立劇場の総本山──ハノイ
ベトナムには、12の国立劇団・楽団があり、そのうち、8つの劇団が、それぞれ固有名をもつ国立劇場を保有・運営し、そこを拠点として活動している。まとめると別表のとおりで、12の国立劇団・楽団のうち10、8の国立劇場のうち7つがハノイにある。国立劇場のほかに、ハノイ市営、ホーチミン市営の劇場があり、例えば、日本人の本名徹次氏が芸術監督兼主席指揮者を務めるベトナム国立交響楽団は、ハノイ市営の大劇場(通称ハノイ・オペラハウス)を主な活動拠点としている。
1986年の「ドイモイ」(刷新)政策を機に、市場から資金とリソースを自由に獲得すべしと政府の補助金を大幅にカットされたベトナムの国立劇団・劇場は、以降、軒並み、慢性的な資金不足に陥り、機材・設備の老朽化、観客の漸減傾向という課題を抱えながら、日々の運営に悪戦苦闘している。
したがってオーコー劇場、青年劇場などの国立劇場にしても、オペラハウスなどのハノイ市営劇場にしても、会場賃料を自己収入の主な財源として確保しなければならず、外国大使館・文化機関主催による公演からアマチュア団体による発表会まで、外部企画を何でも受け入れて資金不足を補わなければならない状況にある。
これは魅力ある劇場運営という点で大きな足かせとなっており、どの劇場も、運営母体の劇団・楽団による自主公演以外、際立った特徴が見えにくいという課題を抱えている。
他方で、各国立劇団・楽団の構成員は、演出家から俳優、演奏家、音響・照明などのスタッフまで、全員給料制で一定の収入が保障されているため、芸術監督や演出家等の力量と意欲次第で、各劇団・楽団は、拠点となる国立劇場をベースに、実験的、先進的なリスクのある制作に挑戦できる環境にあるともいえ、南の演劇人に「ゲージツ」と揶揄されるにしても、興味深い試みが立ち現れてくる可能性は常に残されているといえる。
小劇場の発祥地──ホーチミン
資金不足で苦境に立たされた北部の国立劇場とは対照的に、ホーチミンでは、2000年代に入って小劇場を拠点に活動する民営の演劇集団が相次いで旗揚げされ、フリーランスの劇作家や俳優も適材適所で活用しながら、市場経済化にたくましく対応した状況が生まれている。
いずれの劇団の作品も、コメディタッチのものでエンターテイメントとして気軽に楽しめる作品が多く、娯楽の一環としてホーチミンっ子たちがチケット代を払って観に行く習慣が定着している。また、若手女優のレー・カイン(Le Khanh)など、舞台での人気が高まることで、映画やTVドラマに出演する俳優・女優も出てきており、クリエイティブ産業のダイナミズムと連携する形で、ビジネスとして成り立つ演劇が発展してきている。
ハノイには、2014年4月現在、正式に認可された民営劇場・劇団が存在しないことを考えてみれば、この南北の演劇シーンの違いは、極めて興味深い現象である。
ゲージツとエンタメのあいだ
ハノイとホーチミン、それぞれの都市における演劇的想像力は、各都市の劇場、劇団の置かれた環境の違いから、今後、大きく異なる形で発揮されていくことになるだろう。経済発展著しいベトナムにおいて、文化の創造における多様性への希求が、ますます高まると予測されるなか、ベトナムの演劇史上、画期的な舞台芸術が、南の民営劇団側から、いわば観客の自発的なニーズに対応する形で生まれてくるのか、それとも、北の国立劇団から、演劇人の問題意識として、実験的に試みることから始まってくるのか、あるいは同時多発的となるのか、今後の動きが楽しみである。
設立年 | 所在地 | 団体名 | 保有劇場名(客席数) |
---|---|---|---|
1951 | ハノイ | ベトナム伝統音楽舞踊団 | オーコー劇場(約700) |
1951 | ハノイ | ベトナムチェオ劇団 | キンマー劇場(約450) |
1951 | ハノイ | ベトナムカイルオン劇団 | なし |
1952 | ハノイ | ベトナム演劇劇場 | ベトナム演劇劇場(約100) |
1953 | タイグエン | 北部ベトナム民俗音楽舞踊団 | なし |
1956 | ハノイ | ベトナム人形劇団 | ベトナム人形劇場(約230) |
1956 | ハノイ | ベトナムサーカス連盟 | サーカス劇場(不明) |
1959 | ハノイ | ベトナム国立交響楽団 | なし |
1959 | ハノイ | ベトナム国立オペラ舞踊団 | なし |
1961 | ホーチミン | ボンセン伝統音楽舞踊団 | ボンセン劇場(約700) |
1978 | ハノイ | ベトナム青年劇場 | ベトナム青年劇場(約618) |
1986 | ハノイ | ベトナム現代音楽舞踊団 | ベトナム現代音楽舞踊劇場 (約250) |
[吉岡憲彦 国際交流基金 アジアセンター]
<2014.5.15発行『テンペスト』公演プログラムより>
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