スコットランド

「ナショナル・シアター・オブ・スコットランド」(NTS)は、劇場をもたないナショナル・シアターで、自由にどこへでも観客の望むところへ出かけて行く。演劇の可能性は無限で、どんな物語でも上演できると信じているからだ。

ホームなきカンパニー

ナショナル・シアター・オブ・スコットランドの誕生は2006年2月。初代芸術監督のヴィッキー・フェザーストーン(Vicky Featherstone)は、スコットランド中の劇場ではない場所で、新作10本を同時上演すると発表した。これが、「驚くほど斬新」と言われた『HOME』の上演である。スコットランド演劇界の新時代の幕開けにふさわしく、各地の人々が同時に参加できる企画であった。エディンバラ、グラスゴー、アバディーン、インヴァネス、ダンディー、さらにダンフリースの体育館やオークニー諸島のカーフェリーなどが上演地となり、NTSはスコットランドの「壁なき劇場」として発足した。この「ホームなきカンパニー」をスコットランド演劇の「ホーム」にしようというのが、NTSの狙いだった。

スコットランドは1999年に独立議会の設置が承認され、イギリス議会の支配下にありながら政治的権限をもつこととなった。その新政府がはじめに取り組んだ政策のひとつが、ナショナル・シアターの設立である。演劇関係者および多方面の関連団体と話し合いを重ね、スコットランド・アーツ・カウンシル(SAC)は2001年7月、ナショナル・シアターの設立を発表した。当時SACの会長ジェームズ・ボイル(James Boyle)は、「スコットランド独自のナショナル・シアターを設立し、スコットランド全体の演劇を国際的水準まで高め、スコットランド・ナショナル・シアターが一流と認められるようにする。それが、スコットランドと国民の栄誉となる」と語った。

この新たなナショナル・シアターは、これまでの国の機関とは異なるものにすべく、スコットランドの既存の演劇集団を融合させ、スコットランド演劇界の新しい潮流を創り出そうとしたのである。このビジョンは長期にわたる濃密な話し合いにより形成され、次のようなスローガンを掲げた。「箱モノ」に制約されない演劇組織をつくる。1カ所にとどまらず、つねに巡業を続けるカンパニーをつくる。首都や主要都市の文化的エリートだけのためではなく、国民全員のためのカンパニーをつくる。さらに、この新しいナショナル・シアターを起点に、多数の劇団を交流させる。このように始まったNTSは、スコットランド演劇界全体にとり等しく共通のベースとなり、作品の質を高め合い、スコットランド中の観客を集客し、世界的に認知されている。NTSの新作戯曲制作担当ディレクター、ジョン・ティファニー(John Tiffany)は次のように述べている。

「NTSの組織は身軽で、柔軟性に溢れている。NTS専用の劇場や劇団をもつよりも、スコットランド演劇界の既存の劇団やアーティストと組んで、新時代の演劇を目指したかった。これが、多くの人たちの想像力に火をつけたのだろう」

ただしティファニーの考えていたNTSは、単なる斬新な組織のもとで優れた上演を続けていくだけではなかった。「スコットランドの伝統に忠実な作品を創りたかった。それは、民主的で心の内を吐露し、スコットランドの国と民衆の生活に根ざした演劇。観客に直接響き、しかもポップなエンターテインメントやミュージックホール界などとも密接に結びついている演劇である」

『ブラック・ウォッチ』の大成功

2011年2月までの5年間に、NTSは137公演を行った。その中には2010年の『カレドニア』のように、エディンバラ国際フェスティバルで上演された有名な作品もあれば、スコットランド北端のケースネスから中央部のファイフにいたる各地で繰り広げられた、若者たちやコミュニティ主導の多様なプロジェクトもあった。レパートリーは一貫して斬新で実験的、前衛的でポストモダンなものだった。一方で、つねに新たなものを制作していたため、スコットランドの名作古典作品がなかなか上演されないとの声も聞かれた。

そこで、1904年の戯曲『ピーターパン』をデヴィッド・グレイグが取り上げたとき、「新旧のバランス」をとるためだといわれた。しかし、先述のティファニーは 「いつか、『ピーターパン』をシリアスに、クリスマス用子ども向けではない公演としてやってみたかった。あの作品は、本来スコットランドの戯曲だ。子ども向けのパントマイム作品という固定概念ができてしまっているが、この誤解を解き、スコットランドの偉大な演劇史に燦然と輝く作品として再評価してほしい」と語っている。

現時点でNTSの上演作品の中で最も評価の高かったものは、グレゴリー・バーク作『ブラック・ウォッチ』だ。誰もが聞いたことのある名作となり、この公演によって、NTSは世界に認められる存在になった。

『ブラック・ウォッチ』は2004年時点でのイラク戦争を題材に、イラク戦争におけるスコットランドの責任と影響とを観客に問いかける力作だ。自分たちも戦場へ送った若者たちを裏切っているかもしれない……そのような自責の念を抱かせる戯曲である。また「ブラック・ウォッチ」という英国陸軍スコットランド高地連隊の立場の難しさも強調されている。この連隊は、イランでの戦闘中、英国政府による経費節約のため、他の連隊と統合させられようとして、スコットランド社会に大きな反感を呼んだ。スコットランド社会は長い歴史の中で、ブラック・ウォッチを中心に形成されてきたからだ。実際に戦場で戦っていた兵士たちのインタビューをもとに書かれたこの作品は、一部辛らつなまでにリアルで、英国軍の兵舎内でのユーモアや、暴力的な生活、仲間意識などを描いている。しかし、ティファニーの演出では、叙情性や幻想性も表現されている。スコットランドの伝統音楽や流麗な振付によって、戦闘を職業とする男たちの別の一面、傷つきやすく心優しい素顔をも描き出している。3人の兵士が道端で爆殺されるシーンはスローモーションのバレエのような演出で、観客に衝撃を与え、これ以上の表現は考えられない。『ブラック・ウォッチ』は全世界で上演される大ヒットとなり、設立間もないNTSを世界に認知させる絶好の機会となった。

演劇が日々の生活に密着

NTSは設立してまだ6年だが、すでにスコットランドの実力を世界に知らしめる役割を果たしてきた。NTSは若者たちや新鋭の劇作家たちと積極的につながり、内容豊富なウェブサイトとソーシャルメディアを利用した活動で、社会全般との強力な接点をもち、さらにその活動範囲を広げている。一例として、聴覚障害のある観客とも活発な協力関係を築き、その結果が「聴覚障害者のシアター・クラブ」という形になって表れている。さらに、新鋭アーティストや演出家はもとより、学校や学生、少数民族とも積極的に交流し、良好な関係を展開している。その一例が、少数民族として独自の言語を使用しているゲール民族である。

また、ウェブサイト上では、Theatre Champions(サポーター)というコミュニティ大使のような人材を広く募集している。このサポーターは演劇界以外の人々で、NTSの活動をサポートし、日々の生活に密接したものにしていく役割を担う。

NTSはナショナル・シアターである以上、スコットランド演劇の最高水準の作品を英国の他の地域および世界に発信していく任務を負っている。と同時に、スコットランド国内で社会の各層の人々に、演劇活動を通して広く働きかけるという役目も果たしている。これは、成熟した国家であることを証明するナショナル・シアターの活動のひとつでもあるのだ。

ウィリアム・ジェイムス[ディレクター、在ウェールズ]

<2012.4.2発行『まほろば』公演プログラムより>