トリニダード・トバゴ

脱植民地化と演劇

1969年に宗主国イギリスから政治的独立を果たしたトリニダード・トバゴでは、早くも30年代には、政治や経済の分野のみならず、独自の芸術と文化を開花させるための文化政策を推進する必要性が叫ばれるようになった。このような状況下で発展した演劇は、他国との差異を強調しつつ、自国・自国民・自文化の独自性を見出し、国民的アイデンティティを作り出そうとするナショナリズムと強く結びついていた。

1940年代になると、代表的な劇団が活動をはじめる。48年には、トリニダード生まれの演劇人・演劇研究者のエロール・ヒル(1921-2003)がホワイトホール劇団を結成した。また59年には、のちにカリブ海地域から初のノーベル文学賞を受賞するセントルシア生まれの詩人・劇作家デレク・ウォルコット(1930-)が劇団トリニダード・シアター・ワークショップ(TTW)を旗揚げし、90年代には「カリブ国民演劇の旗艦(フラッグシップ)」と呼ばれるまでに成長する。

カリブの現実を描き出す戯曲が、カリブの俳優によって、カリブの観客の前で演じられる――このような演劇こそが「カリブが抱える分裂症的かつ胡散くさい分裂に、統合と完全さをあたえうる唯一の方法である」とはウォルコットの言葉だ。ウォルコットに限らず、トリニダードの演劇人たちは演劇が、英国帝国主義および植民地支配によって培われた「植民地根性」を払拭し、カリブ人の「統一」された国民的アイデンティティを作り出せる媒体だと考えた。

「ハコ」の欠如

しかしながら、トリニダードの演劇人たちは長い間、経済的な心配をせずに上演や稽古ができるような「ハコ」に恵まれなかった。48年にカリブ随一の舞踏家ベリル・マクバーニー(1915-2000)が、民俗舞踏の振興のために建てたこぢんまりとしたリトルカリブ劇場(Little Carib Theatre)のほかには、トリニダードには常設劇場がほとんどなかった。そのため、彼らは巨大なコンサートホール、あるいは外資系リゾートホテルの宴会場やスポーツクラブに設置された間に合わせの舞台で公演をおこなった。89年になると、政府はTTW劇団に対して、首都ポート・オブ・スペインに建つ旧消防署を劇場として10年間の期限つきで貸し出す。21世紀になってからは、新たに建設された140席の劇作家劇場(Playwright’s Theatre)が、TTW劇団の活動拠点である。

十分な施設なしに演劇活動をすすめてきたトリニダードの演劇人たちにとって、政府の資金援助でまかなわれる演劇専門の国立劇場の建設は長年の夢だった。トリニダードと同じく、イギリスの植民地支配下におかれてきたアイルランドでは、アベイ座という国立劇場が、W.B.イェイツやJ.M.シングといった文芸復興運動の旗手たちの活動を支えてきた。トリニダードの演劇人たちも、植民地支配から逃れて独自の国民性や言語を育てるためのゆるぎない拠点となるような劇場を欲したのである。しかしながら政府は、外貨を獲得するための観光の目玉であるカーニヴァルには毎年莫大な予算を割り当てるが、よりマイナーな地元の劇団への資金援助や劇場建設に対しては財布のひもが固かった。

カリブでの上演

1974年にリトルカリブ劇場で行われたTTW劇団の『セビリアの色事師(The Joker of Seville)』初演は、カリブにおける上演のあり方と興行成功の可能性を考えるときに省くことができない。作者ウォルコットは、かつての宗主国イギリスの伝統的な劇団であるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の依頼を受けて、17世紀のスペイン黄金期に上演されたドン・ファン物語を書き換えて、カリプソ音楽などカーニヴァルの要素をふんだんに盛りこんだ、陽気で力強いカリビアン・ミュージカルに仕立て直した。この作品はトリニダードの観客から絶大の支持を得て、同国において初のロングラン公演を記録した。それのみならず、カリブらしい劇場とはなにかを教えてくれる。一回の公演が4時間近いこの長大な作品の上演中、観客たちは客席でも自由に飲み食いやおしゃべりをしながら芝居を楽んだ。RSCの専属演出家テリー・ハンズは、このようなトリニダードならではの上演風景こそが「ブレヒトやピーター・ブルックが目指した、役者と観客が“演劇的な”出来事によってひとつに結びつけられる劇場」のあり方だと感激し、現在の英国では決して実現できないと述べた。今日の西洋諸国で習慣化されているように、観客がまるで教会のミサに出席しているみたいにかしこまって観劇することは本来の劇場の姿ではないと、ウォルコットは考える。このような神妙なムードとは異なり、カリブの劇場は、観客に「ボクシング観戦の興奮」を味わわせることができるという。つまり、りっぱな「ハコ」や大がかりな舞台装置に頼ることなく、観客が気軽に劇場の一部になれる臨場感と興奮を作り出せることを誇りに思っているのだ。

「ハコ」の役割

とはいえ、常設劇場は演劇作品の上演のためだけに必要なのではない。
TTW劇団がかかげる活動目的は、国際的にも通用するカリブ独自の戯曲を上演するのみならず、劇団の教育プログラムを通じてアーティスト・学生・観客を育てること、さらには質の良い芸術的・文化的経験の機会をもうけることでアーティストの国外流出をふせぎ、カリブにすぐれた人材を集めることである。

「カリブでは、演劇は道ばたでも発生する」とウォルコットは言う。十全な劇場設備がなければ、役者は演技力に磨きをかけ、観客は想像力を駆使して舞台鑑賞する訓練をせざるをえない。それはトリニダードの演劇人と観客を同時に育てて演劇の質を高めるという目的にかなう。

2009年11月、待望のトリニダード・トバゴ国立劇場(National Theatre of Trinidad and Tobago)と、国立劇団(National Academy of Performing Arts)が誕生した。政府の大規模な文化推進事業の一環として、1500席の劇場を含む近代的な文化複合施設が首都に建設され、ロナルド・ジョン作『恋人よ、わたしと踊って(Dance Me, Lover)』でこけら落としがおこなわれた。地域発展・文化・ジェンダー省大臣マーリーン・マクドナルドによれば、この文化事業のねらいは「地元の芸術家たちがパフォーミングアーツの教育を受けるために海外へ行かなくてもよい国」をつくることである。

バナナ貯蔵小屋やスチールドラム練習場までもが劇場に早変わりするカリブには、「ハコ」に頼りすぎない舞台作りをするというプライドがある。だからこそ、カリブ海地域でもっとも新しい国立劇場に求められているのは、ぴかぴかの舞台設備ではない。むしろ、稽古場や上演場所、教育プログラムなどの整った環境をコンスタントに提供することだ。地元のアーティストを育て、観客に演劇体験のチャンスをあたえ続けることで、トリニダード・トバゴの演劇そのものの質を高めていく「場」となることなのである。

松田智穂子[一橋大学非常勤講師・英語圏演劇研究]

<2012.3.5発行『パーマ屋スミレ』公演プログラムより>