現代戯曲研究会

戯曲を通して見る同時代の演劇-イギリス- 2

小田島 恒志

プロフィール

現代ヨーロッパ演劇の動向を探りつつ、演劇の「言葉」について考える──という趣向で、独、仏、英の戯曲を「現代戯曲研究会」で読み始めてから間もなく、あるキーワードが浮かび上がった。「In-yer-face Theatre」。昔はタブーだった卑猥な言葉や残酷な行為を、何のためらいもなく、あからさまに提示する現代劇の風潮を指してこう呼ぶ。「人の面前で」を意味する「in-your-face」という言葉を崩して、汚い言葉を平気で口にすることを示唆した言い方だが、うまい訳語が見つからない。研究会でもいつも原語のまま「まあ、この作家も in-yer-face の1人ですね」などと使っている。

もともとは、若くして自殺したサラ・ケインに代表されるイギリスの若手作家のスタイルだったが、実は当初イギリスの観客には受け入れられず、ドイツやフランスで評価されて、その後ようやく本国でも認められるようになった、という背景がある。「乱暴な言葉や行為をサラ・ケインのようにサラッと晒す、ということで、『さら芝居』なんて訳語はどうでしょう」と提案しようと思ったが、やめた。これじゃ意味が通じないし……。

この言葉を定着させたのは、“In-Yer-Face Theatre ”の著書もある評論家のアレックス・シアーズだが、どうやら普及のきっかけになったのは、サイモン・グレイの戯曲『ジェイプス』(2000年)のセリフらしい。実は、そうとは知らずに僕はこの芝居をひょうご舞台芸術の02年公演のために訳している。物語の終盤に、作家マイケルが娘のウェンディ向かって言うセリフである。ウェンディは火の不始末で一緒に死んだ母アニータと叔父ジェイスン(マイケルの弟で、あだ名がジェイプス。あざけり、からかいを意味する)の仲を疑って、というより、知っていて、マイケルに向かって「パパは私のおじさんなの、父親なの?」などと聞いてくる。そして、母と叔父の間にあったと思われる性行為を露骨な言葉で描写すると、マイケルが「そういうことを平気で口にするんだな、今どきの若いもんは」と嘆き、「この前見に行った芝居もそうだった……」と「今どきの芝居」の言葉遣いに言及する。「……そうやって自分たちの言葉遣いの中に逃げ込んでしまう。○○だとか、××だとか、△△だとか(ここには書けません!)……(中略)……ただ、何が最悪だったって──この連中がみんな、文法的に正しく喋ってるんだ。ちゃんと、主語と述語のある文を組み立てて。それも結構優雅に! なぜだ? どうしてなんだ、いったい? (間)いや、理由は分かってる。そうすれば、それだけ動詞と名詞が際立つからだ──あからさまに、これ見よがしに。そう、まさにそれだ、これ見よがしに、ホラ、見てみろ、って言わんばかりに!」──この最後の繰り返しが原文では「In your face」となっている。

かつて過激なセリフも辞さない新奇な作風で戯曲を書きながら、その後ロンドン大学で20年以上も英文学を講じたこのサイモン・グレイのように、すでに60代、70代になった大御所たちの活躍も見過ごせない。アーノルド・ベネットの『ヒストリー・ボーイズ』や、トム・ストッパードの『ロックン・ロール』などは、骨太で、重厚で、「イギリスの演劇は In-yer-face だけじゃないぞ!」と叫んでいるかのようだ。

そうした大御所たちの動きに応えるかのように、In-yer-face の担い手たちも作品に深みを加え始めたような気がする。スコットランドのアンソニー・ニールスンの『ザ・ワンダフル・ワールド・オヴ・ディソシア』(04年)などはその典型で……と解説しようと思ったら紙面が尽きた。「『不思議の国のアリス』が大好きだけどセックスと暴力が足りないと思った人にぴったりの芝居」という本人の言葉を紹介するに留めておこう。
(早稲田大学教授)
<2008.2.26発行『屋上庭園/動員挿話』プログラムより>