1909年ヨーロッパに突如出現したバレエ・リュス。天才プロデューサー・ディアギレフが最高度のテクニックを持つロシア・ダンサーたちを率い、ストラヴィンスキー、ピカソ、コクトーなど非凡極まりない芸術家を結集させたこのバレエ・リュスは20年に渡り人々を驚愕させ続けた。
新国立劇場バレエ団2013/2014シーズンは、「革新性」と「普遍性」を併せ持ったこの驚嘆すべきバレエ・リュス作品の豪華三本立てで華々しく開幕する。確かなテクニック、繊細な抒情性、豊かな音楽性、自在な表現力を兼ね備えた新国立劇場バレエ団がお届けする100年ぶりの衝撃を存分にご堪能ください!
【バレエ・リュス】Ballets Russes
1909年突如ヨーロッパに出現した、天才プロデューサー・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団。
ロシア・ダンサーの最高度のテクニック、ロシア的な原始性・民族性、エキゾチシズム、
エロティシズムで、20年に渡りヨーロッパを驚愕させ続けた。
参加した芸術家には台本を書いたコクトー、作曲家のストラヴィンスキー、プロコフィエフ、
画家ではピカソ、ローランサン、ルオー、マチスなど錚々たるメンバーがこのバレエ・リュスに携わった。
総合芸術バレエ・リュスの出現は、バレエ界を遥かに越える20世紀の歴史的大事件であったのだ。
バレエ・リュスのために制作された多くの作品は100年を経て今なお世界中のバレエ団の
重要なレパートリーになっていることからも、
いかにバレエ・リュスが「革新性」と「普遍性」という相反する側面を併せ持つ
一大革命であったかがよくわかる。
【ストラヴィンスキー】Igor Stravinsky
1909年ストラヴィンスキーは彼の人生を変えてしまうことになる1本の電報を受け取る。
差出人はディアギレフ。「火の鳥」の作曲依頼の電報だった。この「火の鳥」はパリ公演で大成功を収め、
ヨーロッパでは全く無名だった28歳のストラヴィンスキーは瞬く間に有名人の仲間入りをすることになる。
その後芸術家ストラヴィンスキーは常に変貌し続ける。
年齢を重ねるにつれ若返るかのごとく作風を変化させ、老年に至るまで旺盛に創作活動を続けた。
ストラヴィンスキーの20世紀のバレエへの影響は図り知れず、もしストラヴィンスキーの音楽がなければ
20世紀のバレエは存在しなかったとすら言われる。
1971年NYで死去、こよなく愛したヴェネツィアのサン・ミケーレ墓地島に眠る。
ディアギレフの墓もそう遠くない場所で。
【ディアギレフ】Serge Diaghilev
1872年、ロシアの比較的裕福な貴族の子として生まれたディアギレフ
― 瞠目すべき芸術通、芸術愛好家、19世紀の冒険家 ― は
バレエを勉強したことも教えたこともなかったし、バレエ振り付けたこともなかった。
にもかかわらず高い教養とすぐれた統率力、抜群の興行センスを持ち
常に新しい芸術運動の先頭に立って世界のバレエ界を20年にわたって制覇した。
1929年ヴェネツィアで世を去る。
ディアギレフの死後バレエ・リュスは解散、非凡極まりない芸術家を結集させる
ディアギレフの才能に比肩するものはその後現れていない。
『火の鳥』新国立劇場公演より photo by Shikama Takashi
『アポロ』写真提供:バーミンガム・ロイヤル・バレエ photo by Bill Cooper
『結婚』写真提供:マリインスキー劇場 photo by Valentin Baranovsky